2016/09/27

2015年の目標、女の虚栄心と見栄とやらとおさらばしたい。

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昨夜、わたしの別ブログでこう書きました。バッグを断捨離した際に書いた記事です。

でも、少しずつ過去の虚栄心とおさらばできる日がくることを信じて、保管しているだけのバッグと少しずつさようならをしていきたいと思います。

そう、わたしはには少なからず虚栄心と見栄があります。それも相当にあると思います。

マイペースで自分なりに生きているように見せかけてもそれも虚栄心と見栄でしかなく、本当のわたしはどのように生きたいのか彷徨っている感じかもしれません。

ずーっと、ずーっとそのことを感じていました。

見栄のための嘘、虚栄心のための言い訳、何度使ったことでしょうか。

わたしの口からは流れるようにわたしの心を偽る、でも、わたしの虚栄心と見栄にとっては砂糖菓子のように甘い嘘、偽りが出てきます。それはひとえに虚栄心と見栄ゆえのモノであり、今後も流れるように口から吐き出すのでしょうか。

それはなんて空しいことなのだろうか!

虚栄心=自分を実際以上によく見せようとする心。

見栄=見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。

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虚栄心と見栄ゆえに息苦しい。

そう、わたしのどうでもいい、くだらない虚栄心と見栄ゆえにお金は滝のように流れていきました。

洋服を買い、バッグを買い、靴を買い、美容に気合を入れ、なんだか自分を飾りたてることに夢中になっていたけれど、肝心かなめのわたしの中身はどこにあるのだろうか?わたしに何が残ったのだろうか?と40を前にしてそんなことを思うようになりました。

今更ながらのピーターパンシンドローム?

決して強い女じゃないのに強い女のフリをしていた過去。

逆に弱い女じゃないのに弱い女のフリをした過去。

分からないと認めることが恥ずかしく分かっているフリをした過去。

知らないのにも関わらず知っているフリをした過去。

悲しいのに、悔しいのにどうってことないよ、というフリをした過去。

全て、わたしのどうでもいい、くだらない虚栄心と見栄ゆえでした。その結果、残ったのは息苦しさだけ。

本当のわたしを出せるのは主人の前でだけ。

心を預けあった友であっても、今はもう本当の自分を出すことはないですね。

いつからこんなことに?

子どもの頃から。

3人姉弟の長女として生まてきたときから、わたしの中には葛藤があったように思います。

自由に生きることに憧れながら、一方で田舎の旧家の本家の長女としての息苦しさが常につきまっていました。今でもつきまっているかもしれません。

子どもの頃から優秀な娘、聞き分けのいい娘、として期待され、でも、応えられないその息苦しさ。

そして、その息苦しさからわたしの理想とする娘、嫁、という形があり、その形に近づくために流れるように嘘をつくのがもう当たり前と化しています。相手の反応を予測し、それに呼応するように返答をすることも。相手の望むがままに。

そうした方がその場がまるくおさまりがいいから。

それが結果としてわたしの中にある虚栄心と見栄を増幅させたのでしょうか。

でも、もう、そんなくだらない理想の自分とやらのために虚栄心と見栄をおさらばしたい。

2015年、40を迎えることをきっかけにおさらばしたい。

虚栄心と見栄とおさらばするために。

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自分と他人に嘘をつかない。

そして、素直に誠実に自分らしく生きる。

たったそれだけの簡単なこと。

でも、それができなかったがゆえに虚栄心と見栄が積み重なることに。2015年はそんなどうでもいい虚栄心と見栄という鎧を少しずつ降ろしていき、身軽になりたいと思います。

女の平均寿命は86.61歳とのことですから、今後40年は素直な女として生きていきたい。ありのままの自分を受け止め、それに劣等感も葛藤も抱かないようにしたいと希望。

楽しいことは楽しいという。

悲しいことは悲しいという。

悔しいことは悔しいという。

弱っているときは弱っているという。

分からないことは分からないという。

知らないことは知らないという。

困っているときは困っているという。

虚栄心と見栄による相手に認めてもらいたい=承認欲求からの虚栄心と見栄よ、さようなら!

そして、単純に素直に自分で自分を認め、今あるがままの自分を受け入れたい。自分軸を探していきたい。そのためには理想の自分と現実の自分の落としどころを見つけていきたいな、と思います。

さぁ、虚栄心と見栄よ、さようなら!