2015年は洋服を買わない1年。
途中で靴下2組、タンクトップ1枚を購入しましたが、いつもの年に比べると少ないですね。あ、追加で冬の靴下を2足購入しました。
2015年は洋服を買わなくてもなんとかなりそうです。残り4ヶ月弱乗り越えてみせます!このままの勢いなら2016年もいけるかもという雰囲気です(^^ゞ
そして、気づいたこと。
洋服を買わない、と決めると洋服に対して抱いていた悩みが消えていきました。
- どんな服を着たらいいのだろう?
- 歳相応のファッションって何?
- わたしを魅力的に見せてくれるのはどんな洋服?
- 何を買えばいいの?
- 何を来たらいいんだろう?
とクローゼットの前で軽く絶望をしていたわたしが一気に霧散したような気がします。とはいえ、そのことに気づいたのはつい最近なんですがね。
そして、友人の言葉にハッとさせられました。
二人の子供が大きくなった、彼女の幸福。
二人の子どもが揃って中学生になり、「今がわたしの時間よ」と自由を謳歌している友。
子どもが幼い内はどうしても着る洋服が限られてきた、と。
動きやすいもの、汚れてもいいもの、選択しやすいもの、丈夫なもの、子どもに破られても怒らないもの・・・などなど。洋服を買う基準は「わたしが好きなもの」ではなく、「子どもが破いても汚しても引っ張ってもいいもの」になってしまっていたのよね、と。
その子どもたちは中学生になり、もう昔ほど「破いても汚しても引っ張っても」こなくなり、今、ようやく再び「好きな服を好きな時に好きなように着るという幸福」を謳歌していると彼女は力強く断言。
そう、好きな服を好きな時に好きなように着られる、それが幸福と。
続けて、「ワタノさんのファッションセンス好きよ。昔から一貫性があって。ナチュラル嗜好なんだけれど、トラディッショナルな部分もあって、安定している」と言われるとなんだかもうメロメロ。
そして、「ワタノさんは自分の好きなモノを分かっているはずよ」と。
そう、分かっている。
典型的なコンサバ系ファッションの彼女。
一方、彼女は典型的なコンサバ系ファッションを好みます。都会にいる有閑マダムのような。艶やかで華やかでそれでいてきりっとしたファッション。わたしにはとても真似できない「大人のいい女」的ファッション。昔からそういう感じ。
彼女の普段着はわたしにとって普段着じゃない。
そう、普段着でも「ちょっとそこまで」というコンサバ系のよそ行きのお澄まし感があってたまにビビります(汗)
が、そんな彼女も子育てにキリキリとしていた頃はデニムを履いていてびっくりしました。「え、デニム?」と。さらにユニクロのダウンをまとって来た時もビックリ。さらさらに真っ白いスニーカーを履いてきた時もビックリ。さらさらさらにジップアップパーカーを着てきた時もビックリ。
いずれも独身時代の彼女なら絶対に身につけなかったもの。
で、デニムやユニクロのダウン、スニーカー、ジップアップパーカーのラクちんさを知った今、それらを使ってもいるけれど、「やっぱり好きとは違う」と。また、コンサバ系のお洋服を少しずつ揃えている、と。
そう語った彼女はとてつもなく嬉しそうでした。
「ああ、わたしの好きな洋服を着れる時がようやく来たのよ!」
と。
やっぱり生まれ持った好みとは好み。何歳になろうが好みはなかなか変わらないものだ、と実感。
「好きな服を好きな時に好きなように着る幸福」
この言葉をわたしも深く噛みしめたいと思います。
好きな服を好きな時に好きなように着るという幸福。
わたしは1年間服を買わない選択をすることで「心の安寧」を手に入れました。買うという選択肢を放棄したからこそ、ファッションに対して考えること悩むことを放棄したということ。
そして、「欲しい」という感情で洋服を買うからこそ、「欲しい」から所有しようとするからこそ洋服に対しての迷いが出てくるのだ、と気づくことができました。欲望や見栄や自己満足ゆえの「欲しい」だから迷う、と。心の奥にそれは違う、という叫びみたいなものがわたしの中にあるのだろうと思います。
現在は必要な物だけを購入する生活をしています。上記のタンクトップと靴下のように。
そして、買わない代わりに手持ちの洋服をじっくりと向き合うことを選択しました。すると、手持ちの洋服は色々と語りかけてきます。そして、わたしはようやく洋服の声ならぬ静かな訴えに気づいたような気が。
「ああ、やっぱりこの服が好き!」「このラインが素敵!」という変わらぬわたし的偏愛アイテムから「なんで買っちゃったんだろう」というトホホお洋服まで様々。トホホお洋服は少しずつ舞台から降りていってもらっています。
そして、いつかは好きな洋服+生活のための洋服に絞り込みたいですね。
「これがわたし!」という個性のある洋服だけに。
それには、2016年も洋服を買わないをやっているかも!?
〔参考〕オシャレとは自分のスタイルを確立すること『服を買うなら捨てなさい』。
着る洋服に迷ったら、買う洋服が自分の中に見えなくなったら、少し、その消費するという舞台から降りてみるといいかもしれません。
洋服のことをあんなにしゃかりきになって考えていた自分がいつの間にか消えていくかもしれませんよ。少なくともわたしは実感しました。
そして、わたしは「好きな洋服を好きなときに好きなように着る」という心地に。それが第三者から見ても残念であっても、それがわたしのスタイルだから。
わたしはわたしのスタイルを追求する、と。
誰かのためのスタイルじゃない、わたしはわたしが好きなスタイルを構築する。